第17回

 昨年9月に安全保障関連法案が国会で審議されました。その際、国会議事堂前で反対デモが起きました。安全保障に関する論議は、軍事を中心にして、直接私たちの命に関わりながら世界を見渡すもので、その国会論議は政治的混乱、紛糾の種になります。

 その国会デモは久々に大きな規模を感じさせましたが、団塊の世代はもとより、60歳以上の人間としては、学生運動を主役とした60年、70年の安保闘争の激しさを思い出し、比較をしてしまいます。連載の終盤に、そんな戦後のできごとを少し思い出してみましょう。 

 敗戦後6年を経た1951(昭和26)年、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」が締結され、アメリカ軍は「在日米軍」として、継続して日本に駐留することになりました。総理大臣は吉田茂でした。

 1960(昭和35)年、当時の岸信介総理大臣はアメリカのアイゼンハワー大統領との間で、新日米安全保障条約を合意、調印しました。これによってアメリカ軍は、単なる駐留だけでなく、自衛隊との間で、日米による共同防衛が明文化されました。

 敗戦からまだ15年、戦争に対する拒否感には強いものがありました。背後には、米ソによる世界の覇権をめぐる、露骨な冷戦の激化がありました。

 独特のコーンパイプをくわえて、飛行機のタラップを降りるマッカーサーの勝ち誇った姿から、アメリカの日本占領、駐留が始まりました。敗戦という屈辱を背負いながら、新しい生き方を求めた当時の日本人としての自立に対する思いは強く、アメリカに対する反発になっていました。

 60年安保闘争とした、反米と反政府を掲げた全学連をはじめとした激しいデモは、連日国会議事堂周辺を取り囲みました。対する警察力には右翼、暴力団まで繰り出されました。女性の現役東大生の死亡までを引き起こし、労働組合によるストライキが全国各地で起きました。

 国会では、安保破棄を掲げる当時の日本社会党議員などの座り込みや、その排除が行われ、大きく紛糾しました。新しい安保条約は強行採決などで成立して、現在の日本の抑止力の基礎となっています。「私には声なき声が聞こえる」と語った岸総理大臣でしたが、退任に追い込まれました。

 跡を継いだ池田勇人内閣は所得倍増政策を掲げました。激しい闘争から明るい豊かさを求めた経済的繁栄へ、振り返って見れば印象的な首相交代劇でした。過去の自民党が持っていた見事な二枚腰と言えます。