第22回

 気付いてみると、新しい世紀を跨いでの20年で、私たちの生活は大きく変りました。

 20世紀最後の元日、コンピュータの誤作動を予想した「2000年問題」への対応を号砲とするように、IT革命が起きました。コンピュータが進化したパソコンは、医療を含めた科学技術の飛躍的発展や、社会生活の基本的な部分を支えるようになりました。私たちの日常生活も携帯電話、スマホも加えたIT器機が、生活の主役になっているようにすら感じます。

 私たちの生活はこの上もなく「便利」に、安心・安全も、合理化・効率化もすっかり定着するようになりました。

 それらはとても有り難いことといえますが、一方で「何か変だな」という想いが強くなっているのに気づきます。その「なにか変だな」という想いは、私たちは果たして「幸せになっているのだろうか」、次世代は果たして「幸せな人生を送れるのだろうか」という疑問に広がっています。

 生きることが自然と求めている「何か」が解らなくなっているような気がします。その「何か」はきっと、「幸せ」を感じ、「理想」を求め続ける〝心〟の有り方に思えます。心に湧きおこる大切な想いは、なぜかスピードが上がって、何かに追われる受け身の状態の日常生活にかき消されています。

 私たちはいつの間にか「依存」する生活を送るようになっています。身の回りに起こる小さな不都合さえも、他人のせいにするようになって、いつも誰か、何かに保護されるべき立場であるような思いが強くなっています。

 具体的に、オレオレ詐欺はもっぱら犯罪として取り扱われていますが、本来は親子を中心としたそれぞれの心の持ち方と表現の問題のはずです。個人情報保護法は消費者庁管轄であり、本来の正しい言い方は個人資料保護法、個人データ保護法のはずです。

 親子関係に起きる不祥事は、少し前をたどれば〝恥〟の一種でした。個人の資料、データは、個人に湧き上がり、それぞれの行動を形付ける大切な「情報」のほんの一部でしかありません。

 「依存」の体質が進んで、私たちは「独自性」と「自立」を失いかけています。そのことは、日常にもある大切な「幸せ」からだんだん遠のいているように思えます。

 生活の状況が大きく変化していますが、そんな中で、批評・批判の繰り返しではなく、一見不器用にも見える確かな人生を垣間見た時に、一種の郷愁にも似た安らぎを感じてしまいます。